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「特攻-空母バンカーヒルと二人のカミカゼ」 [本]

「特攻-空母バンカーヒルと二人のカミカゼ」を買う。
これは特攻機2機に命中された空母の記録として詳細なので貴重。日米双方の当事者を公正に書いているし、著者があのロバート・ケネディーの息子というのも興味深い。太平洋戦争に参加した叔父の影響で、こういうことを研究したのだろうか。

バンカーヒルは沖縄沖で特攻機2機の攻撃を受け、大破して戦線を離脱したエセックス級の空母だが、たまたま突入機のパイロットの遺品からその身元が判明したため、この本では攻撃した側とされた側双方の物語が描かれている。特にされた側の方は大火災を起こした後の数時間の艦内の状況が詳細で、なかなかない作品だと思う。日本側の著作では、空母1隻を大破させただけで記述は終わるところだが、この本はそのあとを詳細に物語っている。

原題「Denger's Hour」はその間の時間のことで、特攻作戦が続いているさなか、洋上に無力に漂いながら必死に艦と乗員を救おうとした数時間のことだろう。
まだ全部は読んでいないが、特攻機の突入直後からの件は読んだ。
誘爆する艦載機、炎に追われて海に飛び降りる乗員、溶けたジュラルミンが下の階層に滴り落ちて被害が拡大する恐怖、送風機のせいで毒の煙とすすが流れ込んだ機関室と、その中でマスクをしながら懸命に機関の動きを維持し、その中で次々と倒れていく機関員たち。まさに閉じ込められた中での地獄のような有様である。
戦争は攻める方も攻められる方も悲惨。米軍による攻撃はもちろん、日本が攻撃してもこの有様である。
その中で最も多く死んでいく者が若者たち。特攻機のパイロットも、空母の乗員も、大部分は同じような歳の若者たちだっただろう。

また巻末に収録された特攻機パイロットの両親にあてた手紙がいい締めになっている。その文末では、彼が自分たちの行為がのちの世も語り継がれることを認識していたことを暗示していて、感慨深い。

特攻については、評価はいろいろあろうが、軍の作戦として、組織的に行われたということが稀有なこと。少数者の熱狂や狂信で行われたのではないということは、同じ状況になれば同じことが起こりうるということで、決して過去のことではない。少なくとも何が行われたのか、そのことをこういう本で認識することは大切だろう。

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レイテ戦について [本]

ゲームに合わせて大岡昇平の「レイテ戦記」を読み始めたが、幻の「台湾沖航空戦の戦果」と「レイテ決戦」の関係を読んで、唖然とするしかなかった。海軍は「大戦果」を誤報と分かったのに、発表してしまった後なのでそれを隠した。しかもすでに捷一号作戦を発動しているからには当然と思われるのに、同じ戦域で作戦を行う陸軍にも知らせなかったというのがひどい。陸軍は、台湾沖で大損害を受けたにもかかわらず、米軍は「無理して」比島作戦を敢行したと判断。これは好機と「ルソン決戦」から「レイテ決戦」に切り替えたとのこと。つまり誤った情報に基づいて戦略的な決定を行ったわけで、それが陸軍側の一方的な勘違いならまだしも、海軍が誤りを隠した結果だとは。別に発表する必要はなく、密かに非公式に「あの戦果は実は・・・」と陸軍の誰かに伝えてもよかったはず。後をどうするかは陸軍の責任である。

こんなことはゲームで表現できるだろうか。GMTの「エンパイア・オブ・ザ・サン」では「軍種間の対立」というルールがあるが、それが有効なときでも陸海軍ユニットが同時に活性化できないという程度。同じ側のプレーヤーが戦闘結果情報を共有できないというようなゲームがありうるだろうか。あるとすれば同じ国でも陸軍と海軍は別々のプレーヤーがやって、それぞれに勝利ポイントを稼ぐというような感じだろうが、その場合でパートナーに戦闘結果を知らせた後、それが誤りと分かっても相手に知らせないというようなゲームがありうるだろうか。
「事実は小説より奇なり」では済まないようなひどい話である。

もっともレイテ島に米軍の航空基地軍群が作られてはこの方面の制空権を握られてしまい、ルソン島で決戦しようとしてもできなかった、だから結果的にレイテ決戦をするしかなかったという「後知恵」はありうる。しかしそれは戦略的に重要な情報が陸海軍で共有されないという問題とはまた別。少なくともこのころ旧軍は、すでに「勝つための軍隊」ではなかったと言えるだろう。レイテ戦の時点では、何が一番大事か、何を最優先にすべきかという判断がすでにできなくなっていたほど、まともな精神状態ではなかったということなのだろうか。
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「のぼうの城」感想 [本]

昨日から二日で、この人気の本を一気に読んでしまったが、確かに面白い。長さもちょうどいい。しかしテンポがいい反面、時系列に若干の疑問を感じたので、まとめてみた。
三成軍包囲・長親開城を拒否 Dデイ 6.4
第一次攻撃 D+1 6.5
石田堤工事開始 D+3 6.7
堤工事完成・水攻め D+7 6.11
長親の水上田楽踊り D+8 6.12 *秀吉の書状が三成に
石田堤崩壊 D+9 6.13
石垣山城完成 D+22 6.26
小田原落城 D+31 7.5
第二次攻撃 D+42 7.16
開城 D+42 7.16

小説では正確な日付が書いていないイベントもある。それらは斜字体にしたが、小説の記述によるとそうなる。すとると少しおかしいのは、石田堤が破れてから第二次総攻撃まで日数がかかりすぎていると思えること。堤防の決壊から攻撃まで33日、1ヶ月以上もある。
水が引くだけでなく、地面が乾くのを待ったのだろうか。しかし秀吉が来ると聞いて長親の射殺を命じたほど慌てた三成が、そんなに時間をかけるのか?それとも水攻めが破れたので秀吉が来なくなり、慌てる必要が無くなったのか。
小説の書くとおり、水攻めで本丸だけになった忍城では、3000人がひしめいて身動きできなくなったのでは、高松城ほどでも持たず、それどころか即日ダメになるような状態。なのでその夜の内に長親が「田楽踊り」を決意したとしてもおかしくはないので、堤が決壊したのが完成した翌日なのは無理ではない。
たぶん史実では、その後と開城までの間に何度か小競り合い程度はあったのが、割愛されているのか、雨でも降って攻撃態勢ができるのが遅れたのかもしれない。しかしそれで小田原落城の知らせが第二次攻撃に間に合ったというのはできすぎ。ここら辺は小説的調整があったのか。
なお、小説で解説されているとおりに石田堤の位置を地図上に書くと、確かに忍城がほぼ半円形の中心になる。城方からの妨害を避けての事かと思ったが、洪水の反射波が城に集中するように計算したとは。ヘタをすればそれだけで終わってしまったかもしれない。この人工堤防が作られたのは紛れもない史実。何度も往復したこの地域でこんなことがあったことが確認できだけでもこの本の価値はあった。

*手持ちの道路地図に「石田堤」の位置を書いてみた。破線がそれ。×は堤防の決壊地点
SA340121.jpg

キャラとしては、結局賢か愚か三成にも分からなかった長親は、将器は確かで、丹波や和泉や酒巻靭負といった連中を存分に働かせたのは、漢の高祖劉邦をも思わせる。才でもなく利でもなく、こいつを助けてやろうと思わせるのは三国志の玄徳にも通ずる人徳とも言えようが、主人が秀吉に内通していると知っているのに、軍使長束正家の傲慢ぶりに憤慨する仲間達の心情を察し、甲斐姫に対する自らの恋心を抑えてまで、開戦を決意し、開城にあたっては城の財貨の持ち出しは勝ち取り、甲斐姫は秀吉に与えてしまう。まことに見事すぎる。人徳と言うより、自己に対する望みが全くないのだろう。ある意味達人の境地とは言える。
甲斐姫が長親に惚れていながら、開戦にあたって自分に告白した靭負に好意を抱き、しかし結局は秀吉の側室になってしまうというのも見事すぎる。甲斐姫と二人の男の事はむろん創作であろうが、この程度の事は話の彩りとしてはうまいものだと言うべきだろう。
この本の作者は同じテーマで脚本を書いているが小説はこれが初めてとの事。今後の活躍、特に関東の他の武将を主人公にした話を期待したい。

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「ウィンゲート空挺団」-続き [本]

「ウィンゲート空挺団」を読み終わる。付録に航空作戦を担当した米軍将校の方の話があり、計200機の軽飛行機が非常に役に立ったとのこと。また乾期なので水田が簡易的な飛行場として役に立ったとのこと。これらいずれも、雨期になれば使えなくなる。やはり活動期間3ヶ月というのはいいところだろう。そういう意味では、この方法は天候に特に左右されるものだということ。いいことばかりではない。結局は、十分な航空支援を受けた地上軍の進撃というのが王道なのだろう。
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「ウィンゲート空挺団」-誰もがナポレオンになるわけじゃない [本]

「ウィンゲート空挺団」をほぼ読み終わる。この本はウィンゲートの参謀長だったデリク・タラクという人が、彼の汚名をはらそうとしたものなので、最後はそのことに終始している。特に公刊戦史が彼を悪く言っているのは、階級を尊重しない彼のやり方を真似る若手将校が次から次へと出てきては困るというもの。確かに、保守的な英国ではありそうなことだが、本当にそういう意味だとしたら、それは取り越し苦労というものだろう。例えば、ウィンゲートを知らない人でもナポレオンは知っているが、若手将校の全部が彼のようになりたいと思うわけではない。26才で方面軍司令官になりたいなどと思う将校が今時いたら、ずいぶんな変わり者だ。
ウィンゲートの功績はそれほど極端なものでなくても、クーデリアンやロンメルのような希有なもので、それだけにものの分かった者なら、誰でも彼のようになりたいと思うわけではないだろう。ウィンゲートの戦史は「希有な例」と認識されるはずで、そのためにはむしろ史実を包み隠さず伝えるべきだろう。第2次チンディット作戦は5個旅団にも及び数百機の輸送機を使ったもので、これを無かったことにできるわけはない。それをあえて無視するような戦史を残しては、英軍内に怪しい空気が流れてしまうのではないだろうか。事実が広く知られた上でいろいろな評価が出てくるのはいいとして、その前に事実を封印してしまうとは愚かなこと。本当に英軍においてそんなことが行われたのだろうか。
また、インパール作戦の結末で分かるとおり、結局第31師団も15師団も撤退はしているが、その経路は本来ならウィンゲートの部隊に妨害されていたはずのところだ。もしそうなっていたらもっと悲惨なことになっていただろう。結局そうはならなかった理由はこの本でもはっきりしない。この本ではウィンゲートの後任がよく分かっていなかったからだとか、スティルウェルがチンディット部隊を指揮下に入れたかったから部隊が北上してしまったからだと言っているが、そもそも挺身部隊の作戦期間は3ヶ月と見込みまれていたし、雨期になれば空中補給ができなくなるのだから、やはり6月のあたりで撤退しなければならなくなるのは、誰が指揮官でも変わらなかっただろう。そこらへんをもウィンゲートがいなかったせいにしたがっているように読める本書は、少しひいきの引き倒しが過ぎるようである。
とは言え、空中補給による長距離挺身というものが可能であることを示しただけでも、彼は非凡だったし、43-44年のビルマという格好の戦場を与えられたのは幸運だったろう。なにしろインパール作戦がなければ、彼の提唱した作戦はあれほど「はまり」はしなかっただろうから。

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