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いわゆる「戦略書」の解釈について [テレビ・映画]

今日の大河ドラマはかなりよかった。「保元の乱」の回だが、45分があっという間だった。

その中で興味深かったのが、「孫子」の解釈の違いです。
有名な夜討の可否について、天皇方は承認し、上皇方は却下して、結局上皇方が負けるのですが、その理由が、それぞれの陣営の知恵者が孫子の同じ箇所を引用して、天皇方の信西入道と上皇方の藤原頼長の解釈が違い、それで結論が180度違い、結果も180度違ったという話です。

しかしこれは実は解釈の問題ではないのでしょう。源氏の義朝配下と平氏のほとんどを味方にした天皇方は兵力で勝っているので、攻撃をためらう必要はありません。逆に兵力の劣る上皇方は、都以外から味方の兵力が来るのを待つつもりでした。従って自ら先攻するより、時間を稼ぎたかったのです。
つまり結論はすでに出ており、天皇方はためらいがちな貴族たちを、上皇方は先走りがちな武士を説得するため、孫子の一節を持ち出したにすぎないとも言えます。ともに同じところを引用するのは、たまたま同じ夜討が提案されたという偶然によるものでしょう。

「孫子」はとにかく有名なので、日本や中国の歴史上の戦争ではよく出てきますが、正しい解釈をした方が勝ったのでしょうか?たぶんそうではなく、勝った方の解釈が正しい解釈になったのでしょう。
例えば三国志の曹操は孫子の注釈書を書いたことで有名ですが、三国で最大の魏を建国した曹操は勝ち組とみなされます。その人の書いたものだから伝わったのではないでしょうか。
マハンの「海軍戦略」は日本では有名ですが、秋山真之が日本海海戦の勝者でなければ、これほど有名になっていたでしょうか。
「正しい解釈の者が勝つのではない。勝った者の解釈が正しいのだ」
これが真理ならば、我々ウォーゲーマーも心すべきことなのでしょうか。

ちなみに、写真はウォーゲーム日本史「清盛軍記」の保元の乱シナリオで、今夜の番組を再現してみたもの。白河殿に三方から天皇方の軍が迫っていて、北と南で「骨肉の争い」が展開される。
(源義朝は三条河原で戦った後、白河殿の南側に移動し、火矢を射掛ける)
平頼盛君は叱られてハブられたので、郎党ユニットとともに六波羅邸に引っ込んでます。
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映画「太平洋の奇跡」を見て[ネタバレあり] [テレビ・映画]

「太平洋の奇跡」を見に行ってきた。土曜レイトショーの1200円。シアターも小さかったのでスクリーンは目の前。少しネタバレがあるので、改行を。



















見終わって第一に感じたのは、「指揮官にとって最後に必要なのは『常識』なんだなあ」ということ。
大場大尉は多数の民間人を抱え込み、本国が降伏したとの情報を得ても、きちんと判断して決断できている。200人の民間人を維持していく食料が無くなり、他方、米軍の収容所の実態を知って、民間人の降伏を許し、日本が降伏したと知っても上官の命令がないと山を下りないというきちんとした筋の通しぶり。上からの命令は部下を納得させるためにも必要だったのだろう。劣悪な条件の中でこうしたちゃんとした判断ができていることが偉い。総攻撃前に自決するお歴々と何と違うことか。逆境にあって当たり前の判断が当たり前にできるか。そのあたりで後の評価が変わるのだ。前の戦争ではそれができない人が多すぎた。非常の時なら非常の判断も許されるというのは甘えだろう。特攻などはそのいい例。
ラスト、きちんと筋を通して堂々の隊列で軍歌を斉唱しながらの行進には、疲れ果ててよれよれで山を下りてくると予想していた米軍を驚かしただろう。「フォックス」と呼ばれた戦いぶりより、この最後の降伏の立派さが、大場の指揮官としての、人としての立派さを示していたわけだ。
ラストがこうなので、これはあまり典型的な戦争映画とは言えない。しかし、ちゃんとした原作があって史実をかなり忠実に描写しているようで好感が持てる。そうしてこそ価値があるのだ。いくら面白くても嘘ばかりでは価値がない。21世紀になってこういう戦争映画が作られたことに感謝したい。

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「ワルキューレ」感想 [テレビ・映画]

例によって封切り日のレイトショーというパターンで見に行きました。これだと空いてるし安いので。
実は密かに危惧していたのは、主演のトム・クルーズが「アクション」してしまう事。片目のシュタウフェンベルク大佐がMIばりの大活劇をしてくれては困ります。
しかしその危惧は幸運にも外れました。彼の迫真の「アクション」は各方面に電話をかけまくる事でした。しかしそれがMIとかに劣らない迫真の演技でした。よかったです。
プログラムの表紙です。
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映画そのものはかなり史実を忠実に追っているようで、あまり派手ではなく好感が持てます。反逆側の首謀者達は名前が紹介されるものの、それだけなので説明がもっとあるといいのですが、それは見た人が自分で他の資料とかで捕捉すべきなのでしょうね。しかしせめて役職や肩書きくらいはほしかったところです。ヒトラー側ではせっかくゲーリング、ヒムラー、ゲッペルス、カイテルが出てくるのに、日本語字幕で紹介がないのが残念。特にゲッペルスは重要な役を演じるのですが。

さて、エンドロールを見ながら考えたのは、

1)独裁者の顔出しと声出し-つまり大衆向け演説-の重要性
 指揮系統が混乱しても直接命令が効きます。こういう時に「俺の命令を聞け」と直接言われて逆らえる人はいません。逆にマスコミに出て来なくなると「何かあったのでは?」と勘ぐられるわけですが。なかなか独裁者というものも楽ではないようです。ヒトラーも死ぬ直前にはかなり心身共に病んでいたようだし。

2)ヒトラーが本当に死んでいたら?
 史実では爆薬量の不足とか、会議場の急遽変更とかでヒトラー暗殺は成功しなかったわけですが、もしこれがうまくいって見事独裁者が死んで、「ワルキューレ」が計画通り行ったらどうなったのだろうかと思いました。
 しかしいずれにしろ、この時の「総統」は正当な国家指導者なので、シュタウフェンベルク達のやった事は反逆なのは事実。つまり「総統殺し」相手には武力で潰しにかかる人たちが絶対いたはずです。信長を暗殺した明智光秀の場合と同じです。反逆側は暗殺の正当性を主張して同調者を得るという手もありますが、多数派にはなりえないでしょう。で、結局国防軍とSSに攻められて、反逆は失敗したでしょう。
 しかし、問題はそれが決着するまでの時間。なにしろこれは戦争中の事です。1週間で片づけばあまり問題はなかったでしょうが、内戦になり1か月も続けば、東西どちらかの戦線が崩壊したでしょう。現に東部戦線ではこの時期に「バグラチオン作戦」で中央軍集団が崩壊しており、その状態で中央が内戦状態なら、ソ連軍がその好機を逃すはずはなかったでしょうし、そもそもヒトラーの後継者がゲーリングであれ、ヒムラーであれ、戦争を続ける気力が持ったかどうか。たぶんダメだったのでは?
 つまり「同調者」の規模によっては、ナチス・ドイツは本当にここで終わっていたかもしれません。そういう「架空戦」のゲームがあってもいいかも。

3)現存する独裁国家にとって
 この映画は極めて危険でしょう。暗殺や反乱の正否は別として、圧倒的な支配や宣伝にもかかわらず、良心を捨てなかった人達がいた、ということなのですから。同じような国でも今もきっといるはずです。独裁者の死と、それに続く取り巻き達の排除・国の支配権の転覆、そういうことがいつ隣の某国で起らないとも限りません。最近の強硬姿勢はそういうことへの怖れを表しているのかもしれませんね。そうでないと何で今頃「人工衛星の打ち上げ」なんだか。

とにかくこの映画は「ゾフィー-白バラの祈り」に続いて、ナチス・ドイツ下での抵抗活動を映画化した作品です。「シンドラーのリスト」とも同系統かな。主演がトム・クルーズではなくても、一見の価値はあるでしょう。ただし、いくらかの予備知識はあった方がいいです。


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竜王戦 [テレビ・映画]

竜王戦の渡辺の勝ちは実にプロならでは。
打ち歩詰めは将棋の共通ルールだが、持将棋でのコマ数の勝敗まで読むとは。
渡辺の王は打ち歩詰めで詰まない、そうなればともに入玉しかなく、コマ数で勝ち。
羽生は歩以外の前に進める駒が後一つあれば勝てたのに。こんな際どい将棋があるとは。
これで羽生の3勝1敗だが、これは大きな転換点になるか。それともこれしきで動揺する羽生ではないのか。
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映画感想「レッド・クリフ」 [テレビ・映画]

見てきました「レッド・クリフ」。連休中とはいえ、夕方5時45分からの回がほぼ満員。8月の「スカイ・クロラ」はがらがらだったのにえらい違いです。あっちも宣伝は結構していたのに。しかもあの時は封切り当日。今日は封切り二日目です。本当に映画は水物、何が当たるか外れるか分かりませんねえ。
それでこの映画、三国志ファンがたくさん見に来ているのかと思ったら、帰りの客の会話を聞いているとそうでもないみたい。ますます何でこんなたくさんの人が見に来ていたのか分かりません。だってこの映画、三国志を知らなかったら、半分ほどの価値しかないですよ。映画の最初に簡単な説明をしてくれますが、何よりキャラにある程度思い入れがないと十分には楽しめないでしょう。逆に三国志が好きな人には、見て損はないと思います。大作ですから、是非映画館でやっているうちに見ることをお薦めします。ただし、私がお薦めだと言うのは、「正史」や「演義」を読んでおけとは言いませんが、せめて吉川英治とか、横山光輝とかの作品や、NHKの人形劇を見ていることが前提です。最近三国志をネタにしたゲームとかアニメとかありますが、それで分かったつもりで見に行ってはダメでしょう。

さて前置きが長くなりました。今回封切りの映画は「赤壁の戦い第1部」です。当然赤壁で曹操軍の水軍が炎上するシーンまでは行きません。そこのところは了解しておいて下さい。で、この第1部の映画の扱う範囲はどこまでかというと、新野の戦いで劉備軍が負けるところ(これが前半の戦闘シーン)から、曹操軍が赤壁の対岸に陣を布くところまでです。
「うん?赤壁の対岸て何?」と思った方、いいところに気がつきましたよ。何とこの映画では、「赤壁」とは揚子江の呉側の川岸にあります。つまり曹操がやられるところは赤壁ではなく、「その対岸なのだ」という設定です。なぜそんなことになっているかというと、孔明が呉に曹操と闘うことを説きに来た時、周瑜が軍を訓練していたところがここで、ここに館を構えて奥さんの小喬と暮らしているのです。つまり赤壁を呉側にして、呉軍の、そして後に同盟して合流する劉備軍の映画における「舞台」にしているわけです。これは赤壁の正確な位置は実は今に至るも分かっていないということを逆手に取ったうまいやり方といえましょう。
で、この赤壁を呉側にするということで、後半のクライマックス、赤壁の戦いの前哨戦が出てきます。これは「正史」はもちろん「演義」にもないこの映画のオリジナルと言えるものですが、架空の戦闘とはいえ、これは一見の価値があります。なにしろあの「八卦の陣」の映像が見られるのです。あるいは「八門頓甲の陣」のことなのかもしれません。映像を見ると、このネーミングの方があっていると思うので。
で、ここから先はネタバレになるので改行します。何しろ架空の戦いなので、ここだけは三国志を知っている人でも「あなたの知らない」世界になるので。

















この「八卦の陣」は一言で言うと、「平野に市街地のような地形を作り、敵軍を分断し、各個に撃破する」というのものです。この映画を見てこれが分かった人は、かなりのウォーゲーム通と言えるでしょう。
曹操は赤壁の敵根拠地に狙いを定めますが、荊州を取ったことで得た水軍はおとりとし、密かに騎兵部隊を進めて裏から赤壁を攻略しようとします。しかしそれを見破った孔明と周瑜は、この騎兵部隊を迎え撃つ陣を布きます。それが「八卦の陣」なのです。これは盾を持った歩兵が大きな円の中がいくつもの「部屋」に仕切られたような陣形を布き、その中の「通路」に敵を誘い込み、敵が入ったら「入り口」を閉じ、あとは分断した敵を各個撃破するというものです。平野で騎兵を迎え撃つということが普通はいかに難しいかを知らないと、なんでわざわざこんな凝った陣形を布くのか理解できないでしょう。これは敵を作られた市街地に誘い込み、迷っている敵を分断して各個に撃破するというものなので、もしそんな村や町が適当なところにあればそこでそうするでしょう。しかしその場合は敵も市街地の位置を知っているので警戒します。この映画では敵が「八卦の陣」に当たる前に騎馬が地面に木の枝を引きずって砂ぼこりを起こして陣を隠し、走ってきた敵騎兵はほこりが晴れたところで急に目の前に陣が現れ、矢をいかけられて盾の壁の切れ目に走り込むようにしています。
そして敵を誘い込んだ後、敵を各個に撃破するのに出てくるのが、関羽、張飛、趙雲たちで「こいつら人間じゃねえ」という強さで敵を倒していきます。その登場の仕方がかっこいいんです。盾を持った歩兵の列が横に動いて、まるでシャッターが開いたように英雄達が飛び出して来るという演出で、これは本当にうまいなと思いました。これをするための「八卦の陣」なわけです。
ただし、実際にはこういう陣形はうまくいかないでしょうね。そもそも陣形を作り、維持するだけで大量の歩兵が必要になるわけで、しかも彼らは完全に統制が取れていて、いくら攻撃されてもその陣形を維持する忍耐力と、合図とともにすばやく陣形を変化させる機動力をもっていることが必要です。それだけのことができる歩兵が大量にいるなら、普通に戦闘しても勝てるんじゃないかと思いますね。実際の戦争でも使われたことはたぶんないでしょう。
しかし、それが映画ならできるということで、このシーンは絶対に一見の価値ありと思います。いったいこのシーンだけでどれだけ人と金を使ったことか。いくら人件費が安い中国とはいえ、これは1800円払って見なければ申し訳ないと思いましたね。

あと、映画のエンドロールの後に第2部の予告があります。これは今はこの第1部を見ないと見られないわけですから、見逃すと損ですよ。ただ、見ても第二部の筋とかは全く分かりませんが。

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映画「第五福竜丸」 [テレビ・映画]

7日に録画していた映画「第五福竜丸」を見る。事件は1954年3月1日。映画は59年なので結構早くできたものだ。映画は被爆した23人中の無線局長が死に、その葬儀までで終わるが、ということは残り22人は全員助かったのだろうか。
歴史的事実としては、福竜丸の被爆がマスコミにスクープされた後の現地の慌てぶりがおかしい。福竜丸が入港して水揚げしたその夜に記者が来て、翌日には全国に報道されたのだが、たぶん憶測も交えて大変なことになったのだろう。
入院した23人に全国的な応援があったのは美談だし、危篤に陥った久保山のことを全国民が心配したというのもそうだが、なにぶん私が生まれる6年前のことなので全く知らない。しかしそういうこともあったのだろう。昔の人は情け深いものだ。そういうことも含めて、なかなか貴重な映画ではなかろうか。
ウィキペディアで調べてみた。実際には被爆した船は何百隻もあったとのことに驚く。米国が水爆の威力を見積もり違いしたためとのこと。実験とはいえ、ひどいものだ。ただ、映画を見て疑問なのは、福竜丸がそもそも危険区域を知っていたのかということ。映画では爆発の閃光を見て、初めて実験に気が付いたようで、危険区域外にいたというのは後で海上保安庁が確認したこと。とすれば、正確な区域が設定されていたとしても意味がなかったということだ。福竜丸が当初から南洋に向かったのでなく、ミッドウェー付近から南に方向を転じたので、情報が入らなかったのだろうか。細かく見れば疑問が残る。もっとも正確な情報があっても、危険区域外ということで操業していた可能性はあるわけだが。
また「第五福竜丸展示館」が夢の島にあるとのこと。何度も行った陸上競技場の近くなのに全然知らなかった。今度機会があれば行ってみよう。母港の焼津も去年の旅行で通過したのに、この件と関連づけることはなかった。

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映画感想「スカイ・クロラ」 [テレビ・映画]

*封切り初日の夜。ついさっき見てきたのでアップします。これから見ようという人のため、一応ネタバレ防止改行をしときます。


















まず最初に言えることは、これは万人が見て「面白い」と言うような作品ではないこと。途中で退屈する人もたくさんいるだろう。
この物語には二つ前提がある。「永遠に死なない子供」と「永遠に終わらない戦争」。
テーマは前者で後者はその悲劇の引き立て役なので、物足りないのも仕方ない。つまるところ、人間にとって普通に歳とって普通に死ぬのが幸せだということを感じさせられた。でないと経験が継続することを利用されて、「有効な兵器」として永遠に戦争させられる。「先生」はそんな彼らを死なせてやるため、脱出したパイロットまで撃っていたのだろうか?(最初のシーンのように)
「永遠に死なない子供の悲劇」も「永遠に終わらない戦争の必要性」も作品中でキャラが話してくれるので分かりにくいということはないが、後者については、これは原作者の考えか押井監督の考えか知らないが、私は納得しかねる。皆が平和の価値を認識するため、どこかで誰かが戦争をし続けることが必要だということだが、戦争の認識を本や映画とかで継承するだけでなく、実際に戦争をやり続けることで実現するのは、あまりにコストがかかりすぎるだろう。作品中でも「大作戦」のクライマックスで横やりが入って中止させられている。
現実世界では、別にわざわざそんなことをしなくても実際にどこかで戦争をしている。それをちゃんと報道するだけでいい。もっとも、現在においてそれがちゃんとなされているかは疑問だが。逆にそれをちゃんとしていないと、こういう「見せるための戦争」が必要になってしまうよ、ということか。

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「ロード・オブ・ウォー」 [テレビ・映画]

「ロード・オブ・ウォー」は最高だ。オチが実にいい。つまるところ、主人公ユーリー・オルロフは手先に過ぎない。両親に絶縁され、弟に死なれ、妻子に捨てられても、彼は武器を売り続ける。しかし「夢」を果たしてそして敗れた彼は、何のために武器を売りつつけるのか。「才能」。それだけが理由。使う側にはまことに都合がいい。

この映画のいいところは、武器輸出の非人道性、しかもそれが個人だけでなく、国家によって行われる場合も含めて指弾しているだけでなく、本当に何が戦争の理由なのか、なぜ罪なき人々が大量に虐殺されているのを示していることだ。つまり、結局、拒否権を持った5大国がある以上、国連は何もできない。戦争は止められない。止められるのは、彼らにとって「役に立たない」戦争だけだ。例えば、10年後に日本人と朝鮮人が殺し合いをしていても、それらが彼らに利益をもたらすなら、彼らはテレビを見て、「殺し合いは嫌だね」と言うだけ。安保条約が戦争の過激化に役立つなら、それも利用されるだろう。米軍人100人の命に引き合うように、日本人1万人の命を要求してもいいわけだ。
現在の世界は最悪。大国が一つなら、いずれは競争者に引き倒される。しかし5つもあり、彼らが絶対に互いに戦わないのなら、絶対に支配が崩れることはない。その最大の理由は国連だ。自分らに都合の悪い決議を安保理で拒否し続ける限り、国連お墨付きの戦争は彼らに敵対する者を滅ぼし続ける。タリバンもイラクも、アル・カイダも。北朝鮮がまだあるのは、彼らにあまり都合が悪くないから。殺されるのが日本人や韓国人、ましてや一番死んでいるのが当の北朝鮮人自身なら、なんで米中ロシアが止める必要があるのだろうか。

この映画は世界規模の現在進行中の「偽善」を鋭く突いている。なるほど世界の1人に1丁銃が渡るようになっても、それが大国の利益になるなら、誰も止めることはできないだろう。


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コンピューター対人間-続き2 [テレビ・映画]

そもそも、過去の棋譜を学習するだけでAIは強くなれるのか。棋譜だけで全て分かるのか。棋譜は結果でしかない。勝ち負けもしかり。しかしその過程には、膨大な読みと人の心動きがある。棋譜に示しされた全ての手が最善手ではなく、うっかりやミスもある。そもそもプロ同士の将棋では、疑問手や悪手で勝負が決まる。どれがそれか判定した上で学習しているのか。その将棋の勝負だけが判断基準だとしたら、それが最善を尽くした結果なのかミスによるものなのか判定しているのか。

 結果から過程を判断する事はできないのは将棋に限らない事。それを何10万回やっても、ある程度までしかならないのではないか。ことほどに「勉強」とか「学習」とかは難しい。心の動きへの評価を抜きにして、何万回繰り返してもどれほどの事だろうか。


コンピューター対人間-続き [テレビ・映画]

Oに「ボナンザ」の話をし、評価基準は人に教えてもらうのではなく、ソフト自身が棋譜を勉強し、学習して作っているはずだと言われる。そういえば、番組でボナンザが自動的に延々と何事かしているのがあったが、あれがそうなのだろう。

 だとすれば膨大な棋譜で学習しても、判断ミスが出るという事か。50万局の過去の棋譜を学習しても、プロのトップに勝つにはそれ以上の何かが必要なのか。それはそれで奥が深いことだ。


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