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映画「第五福竜丸」 [テレビ・映画]

7日に録画していた映画「第五福竜丸」を見る。事件は1954年3月1日。映画は59年なので結構早くできたものだ。映画は被爆した23人中の無線局長が死に、その葬儀までで終わるが、ということは残り22人は全員助かったのだろうか。
歴史的事実としては、福竜丸の被爆がマスコミにスクープされた後の現地の慌てぶりがおかしい。福竜丸が入港して水揚げしたその夜に記者が来て、翌日には全国に報道されたのだが、たぶん憶測も交えて大変なことになったのだろう。
入院した23人に全国的な応援があったのは美談だし、危篤に陥った久保山のことを全国民が心配したというのもそうだが、なにぶん私が生まれる6年前のことなので全く知らない。しかしそういうこともあったのだろう。昔の人は情け深いものだ。そういうことも含めて、なかなか貴重な映画ではなかろうか。
ウィキペディアで調べてみた。実際には被爆した船は何百隻もあったとのことに驚く。米国が水爆の威力を見積もり違いしたためとのこと。実験とはいえ、ひどいものだ。ただ、映画を見て疑問なのは、福竜丸がそもそも危険区域を知っていたのかということ。映画では爆発の閃光を見て、初めて実験に気が付いたようで、危険区域外にいたというのは後で海上保安庁が確認したこと。とすれば、正確な区域が設定されていたとしても意味がなかったということだ。福竜丸が当初から南洋に向かったのでなく、ミッドウェー付近から南に方向を転じたので、情報が入らなかったのだろうか。細かく見れば疑問が残る。もっとも正確な情報があっても、危険区域外ということで操業していた可能性はあるわけだが。
また「第五福竜丸展示館」が夢の島にあるとのこと。何度も行った陸上競技場の近くなのに全然知らなかった。今度機会があれば行ってみよう。母港の焼津も去年の旅行で通過したのに、この件と関連づけることはなかった。

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