SSブログ

「のぼうの城」感想 [本]

昨日から二日で、この人気の本を一気に読んでしまったが、確かに面白い。長さもちょうどいい。しかしテンポがいい反面、時系列に若干の疑問を感じたので、まとめてみた。
三成軍包囲・長親開城を拒否 Dデイ 6.4
第一次攻撃 D+1 6.5
石田堤工事開始 D+3 6.7
堤工事完成・水攻め D+7 6.11
長親の水上田楽踊り D+8 6.12 *秀吉の書状が三成に
石田堤崩壊 D+9 6.13
石垣山城完成 D+22 6.26
小田原落城 D+31 7.5
第二次攻撃 D+42 7.16
開城 D+42 7.16

小説では正確な日付が書いていないイベントもある。それらは斜字体にしたが、小説の記述によるとそうなる。すとると少しおかしいのは、石田堤が破れてから第二次総攻撃まで日数がかかりすぎていると思えること。堤防の決壊から攻撃まで33日、1ヶ月以上もある。
水が引くだけでなく、地面が乾くのを待ったのだろうか。しかし秀吉が来ると聞いて長親の射殺を命じたほど慌てた三成が、そんなに時間をかけるのか?それとも水攻めが破れたので秀吉が来なくなり、慌てる必要が無くなったのか。
小説の書くとおり、水攻めで本丸だけになった忍城では、3000人がひしめいて身動きできなくなったのでは、高松城ほどでも持たず、それどころか即日ダメになるような状態。なのでその夜の内に長親が「田楽踊り」を決意したとしてもおかしくはないので、堤が決壊したのが完成した翌日なのは無理ではない。
たぶん史実では、その後と開城までの間に何度か小競り合い程度はあったのが、割愛されているのか、雨でも降って攻撃態勢ができるのが遅れたのかもしれない。しかしそれで小田原落城の知らせが第二次攻撃に間に合ったというのはできすぎ。ここら辺は小説的調整があったのか。
なお、小説で解説されているとおりに石田堤の位置を地図上に書くと、確かに忍城がほぼ半円形の中心になる。城方からの妨害を避けての事かと思ったが、洪水の反射波が城に集中するように計算したとは。ヘタをすればそれだけで終わってしまったかもしれない。この人工堤防が作られたのは紛れもない史実。何度も往復したこの地域でこんなことがあったことが確認できだけでもこの本の価値はあった。

*手持ちの道路地図に「石田堤」の位置を書いてみた。破線がそれ。×は堤防の決壊地点
SA340121.jpg

キャラとしては、結局賢か愚か三成にも分からなかった長親は、将器は確かで、丹波や和泉や酒巻靭負といった連中を存分に働かせたのは、漢の高祖劉邦をも思わせる。才でもなく利でもなく、こいつを助けてやろうと思わせるのは三国志の玄徳にも通ずる人徳とも言えようが、主人が秀吉に内通していると知っているのに、軍使長束正家の傲慢ぶりに憤慨する仲間達の心情を察し、甲斐姫に対する自らの恋心を抑えてまで、開戦を決意し、開城にあたっては城の財貨の持ち出しは勝ち取り、甲斐姫は秀吉に与えてしまう。まことに見事すぎる。人徳と言うより、自己に対する望みが全くないのだろう。ある意味達人の境地とは言える。
甲斐姫が長親に惚れていながら、開戦にあたって自分に告白した靭負に好意を抱き、しかし結局は秀吉の側室になってしまうというのも見事すぎる。甲斐姫と二人の男の事はむろん創作であろうが、この程度の事は話の彩りとしてはうまいものだと言うべきだろう。
この本の作者は同じテーマで脚本を書いているが小説はこれが初めてとの事。今後の活躍、特に関東の他の武将を主人公にした話を期待したい。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。