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「ワルキューレ」感想 [テレビ・映画]

例によって封切り日のレイトショーというパターンで見に行きました。これだと空いてるし安いので。
実は密かに危惧していたのは、主演のトム・クルーズが「アクション」してしまう事。片目のシュタウフェンベルク大佐がMIばりの大活劇をしてくれては困ります。
しかしその危惧は幸運にも外れました。彼の迫真の「アクション」は各方面に電話をかけまくる事でした。しかしそれがMIとかに劣らない迫真の演技でした。よかったです。
プログラムの表紙です。
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映画そのものはかなり史実を忠実に追っているようで、あまり派手ではなく好感が持てます。反逆側の首謀者達は名前が紹介されるものの、それだけなので説明がもっとあるといいのですが、それは見た人が自分で他の資料とかで捕捉すべきなのでしょうね。しかしせめて役職や肩書きくらいはほしかったところです。ヒトラー側ではせっかくゲーリング、ヒムラー、ゲッペルス、カイテルが出てくるのに、日本語字幕で紹介がないのが残念。特にゲッペルスは重要な役を演じるのですが。

さて、エンドロールを見ながら考えたのは、

1)独裁者の顔出しと声出し-つまり大衆向け演説-の重要性
 指揮系統が混乱しても直接命令が効きます。こういう時に「俺の命令を聞け」と直接言われて逆らえる人はいません。逆にマスコミに出て来なくなると「何かあったのでは?」と勘ぐられるわけですが。なかなか独裁者というものも楽ではないようです。ヒトラーも死ぬ直前にはかなり心身共に病んでいたようだし。

2)ヒトラーが本当に死んでいたら?
 史実では爆薬量の不足とか、会議場の急遽変更とかでヒトラー暗殺は成功しなかったわけですが、もしこれがうまくいって見事独裁者が死んで、「ワルキューレ」が計画通り行ったらどうなったのだろうかと思いました。
 しかしいずれにしろ、この時の「総統」は正当な国家指導者なので、シュタウフェンベルク達のやった事は反逆なのは事実。つまり「総統殺し」相手には武力で潰しにかかる人たちが絶対いたはずです。信長を暗殺した明智光秀の場合と同じです。反逆側は暗殺の正当性を主張して同調者を得るという手もありますが、多数派にはなりえないでしょう。で、結局国防軍とSSに攻められて、反逆は失敗したでしょう。
 しかし、問題はそれが決着するまでの時間。なにしろこれは戦争中の事です。1週間で片づけばあまり問題はなかったでしょうが、内戦になり1か月も続けば、東西どちらかの戦線が崩壊したでしょう。現に東部戦線ではこの時期に「バグラチオン作戦」で中央軍集団が崩壊しており、その状態で中央が内戦状態なら、ソ連軍がその好機を逃すはずはなかったでしょうし、そもそもヒトラーの後継者がゲーリングであれ、ヒムラーであれ、戦争を続ける気力が持ったかどうか。たぶんダメだったのでは?
 つまり「同調者」の規模によっては、ナチス・ドイツは本当にここで終わっていたかもしれません。そういう「架空戦」のゲームがあってもいいかも。

3)現存する独裁国家にとって
 この映画は極めて危険でしょう。暗殺や反乱の正否は別として、圧倒的な支配や宣伝にもかかわらず、良心を捨てなかった人達がいた、ということなのですから。同じような国でも今もきっといるはずです。独裁者の死と、それに続く取り巻き達の排除・国の支配権の転覆、そういうことがいつ隣の某国で起らないとも限りません。最近の強硬姿勢はそういうことへの怖れを表しているのかもしれませんね。そうでないと何で今頃「人工衛星の打ち上げ」なんだか。

とにかくこの映画は「ゾフィー-白バラの祈り」に続いて、ナチス・ドイツ下での抵抗活動を映画化した作品です。「シンドラーのリスト」とも同系統かな。主演がトム・クルーズではなくても、一見の価値はあるでしょう。ただし、いくらかの予備知識はあった方がいいです。


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