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「天地人」3.22の回 [テレビ番組]

時間が無くて大河ドラマの録画していた最新回を今日やっと見たが、なかなか興味深い回だった。

上杉の「御館の乱」で春日山に籠もる景勝方は、兵糧の残りが不足してきて危うい上、景虎方が北条の援軍を引き込むことに決し、北条に呼応して武田も攻めて来る形勢という窮地に。ここで主人公兼続は春日山の裏手にあたる地の桑取というところに行き、そこの衆に味方を頼み、兵糧も得るという話だった。

この話では、味方を得る事に失敗した勢力と成功した勢力が出てくる。成功したのはもちろん景勝方だが、失敗したのは武田と景虎方。景虎方は桑取勢に味方を促す動きでは先んじていたが、金を渡すだけで済むと思っていた。結局は彼らは敵側につき、寸前まで成功していた兵糧攻めも失敗した。
もっと深刻なのは武田。北条の誘いに乗って越後へ進撃しようとする勝頼を、高坂弾正は止める。長篠で負けた後、織田の脅威が迫っている今、上杉とは戦うのでなく同盟すべきであると。これは歴史を知っている人、そして少しマルチプレーヤー・ゲームをした事のある人には納得できることだろう。
例えば、現在盤上に織田、上杉、武田、北条というプレーヤーがいるとして、今のところトップを走っているのは織田。そこへ上杉でイベントで内乱が起こった。ここでそれに乗じて上杉を攻めるのなら、それによる得失を考えなければならない。要は上杉の一部を獲得したくらいで(北条とともに攻めるので全部は取れない)織田に対抗できるようになるのか、上杉を攻めずに恩を売って後にともに織田に対抗するのかである。しかもこの場合番組中で、勝頼は織田に対抗する力を付けるためではなく、単に長年の遺恨を晴らすには絶好の機会というだけで出陣しようとしている。これでは高坂が諫止するのも当然。結局意見が容れられなかった高坂が落胆する絵は、「こうして武田は滅びました。でも私の責任ではありません」と彼が言っているように見えた。

窮地に陥った時、自分と相手ばかりを見るのでなく、もっと広く周りを見渡す事が必要だ、とこの回は言っている。この回では兼続は桑取衆を味方にしただけだったが、「これからが大変」と言って、次回は武田の方に働きかけをする事になる。確かに今回の成果だけでは米と若干の兵力が増えただけで、状況を覆すには足りないのだ。同様の外向的手段を使う先を考えると、次は武田というところに行き着く。
結局ところ数の勝負なので、味方は多い方がいいし、逆に敵の味方は少ない方がいい。この場合、武田を味方にすれば一気に逆転に近くなるし、できなくても中立にできれば少なくとも絶望的状況からは逃れられる。次の目標とするのはいい目の付け所だ。

武田は長篠で負けた後一気に凋落し滅んだような印象があるが、実はこの時期まだ他国に攻め入るために2万の軍勢を動かす事ができたというのが再認識。当然織田への備えも残しているはずだから、この2万でも全軍ではない。つまり長篠の負けはたまたま1回の戦闘結果が悪かっただけのようなもので、それだけでは滅亡は決定していなかったのだ。年表を見ると、長篠が1575年、武田が滅んだのが1582年で、その間7年もある。その間にできるプレーはいろいろあったはずなのに。例えば、もしこの上杉家の内乱の後に、武田・上杉・北条の3国同盟ができていれば、織田にとっては強力な東の壁になり、その後の歴史は変わっていたかもしれない。東日本では徳川などほとんど出番がかなったかも。
結局武田は織田に滅ぼされ、北条は秀吉に滅ぼされた。これに対し上杉は転封はされたものの最期まで生き残る。このあたりが歴史の境目だった事になるわけで、実に興味深い。

それにしても、負けてくるとプレーが裏目裏目に出るというのは良くある事。武田の場合それだったのだろう。


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