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アニメ「FLAG」に関連して-ウォーゲームの意味 [テレビ番組]

戦争の実体や真実というものを無関係の人に伝えるのは難しい。いや経験者さえ、その巨大な事件の一部でしかないので、全体や真実がつかめない事がある。
映像報道はその伝達方法の有力手段だが、ただの写真では限界がある。アニメ「FLAG」は、白州冴子というカメラマンを主人公にしながら、彼女は厳密な意味での主人公ではない。何度も登場する元クフラの女性に代表される当事国の一般庶民達こそが主人公で、白州も赤城も彼らの記録者でしかない。つまり彼らの映像だけでは不十分で、関わった人たち、赤城の情報提供者だった癖のありそうな現地の男を含めた人たちとの関わりこそが大事で、それらを抜きにしては彼らの「願い」とそれを伝えようとした白州たちの想いは分からない。映像としては戦闘シーンが「売れる」だろうが、白州が「撮りたい」と思ったのは、それではない。フラッグ奪回戦を我が身の危険も忘れて撮ったのは戦闘シーンの迫力のためではなく、戦っている彼らを白州が知っていて「好きになった」彼らの戦いを記録しなければならないと思ったから。つまり彼女が撮りたかったのは戦い自体ではなく、そこで戦う人間だった。それであれば、紛争が終結した後でも、そこで暮らす人々を撮る意味がある。だから彼女にはいくらでも撮るものがあった。

実際の戦場カメラマン達にそこまでの意識はあるだろうか。たいていは凄い戦闘シーンを撮りたいのではないだろうか。しかし戦争では戦うのは結局人間であり、それに巻き込まれるのも人間である。ならばそれらこそが伝えるべきものであり、それによって戦争の真実が伝えられるだろう。人間を抜きにしては戦争を理解しようとしてもダメだし、戦争を伝えようとしても意味がない。

故に、ウォーゲームも当事者の人間としての苦悩や恐怖や過ちを体験できることにこそ意味がある。よく言われる「戦場のジレンマ」などである。ただ漫然とプレーして楽に勝てるゲームでは意味がない。私がただの兵器の撃ち合いゲームに興味がないのもそのせいだろう。そしていつまでたっても必ずしもうまいプレーができない「へぼゲーマー」でも、これを続けている理由だろう。


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