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PGGシステム考 [私的戦争論]

先に南方軍集団のキエフ・シナリオの記事で、PGGシステムの敵ZOCから移動で離脱できないことを「古いシステム」とこき下ろしたが、考えてみると、1941年の独ソ戦をシミュレートするには、簡単でいいルールかもしれないと思いなおした。
ただそう考えるとドイツ軍にも適用されるのがおかしいが、基本的なZOCのルールなので、国で別にするのはおかしくなると思ったのだろう。あるいは基本的に攻撃側のドイツ軍は、どうせ敵を攻撃するのだから大きな問題はないと思ったのかもしれない。ソ連軍の接敵作戦も、効果のなかった小規模な反撃と考えれば、実際に攻撃はなくてもある程度それが再現されていてよいと思ったのかもしれない。

私がそのように考え直したのには、一つの理由がある。それはPGGという独ソ戦の一局面に限られず、もっと大きな意味合いがある。少し長くなるが、以下、お付き合いいただけると幸いである。
「日本は太平洋戦争になぜ負けたのか」これがその発端である。いきなり飛びすぎと思われるだろうが、実際そうなのだからしょうがない。
日本が太平洋戦争でアメリカに負けたのは、実は日本軍の戦略や戦術とは関係ない。その巧拙はいろいろあり、特にガダルカナル戦以降は失敗の連続だが、仮にいくつかの局面でうまくやったとして(私の大嫌いな架空戦記ものでよくあるように)も、終戦が少し先送りになるだけで、最終的に負けるのは避けられなかっただろう。それは両国の国力差が圧倒的で、米国の10分の1にも満たない日本では、戦争が長期化すればするほど不利になるからで、そのことは山本五十六が「半年や1年は」と言ったこと、そして戦争の推移は彼の言った通りであったことで実によく証明されている。
ただ、勝てないまでも引き分けになったことはありえた。その意味では、対米開戦に踏み切った当時の日本をあながち非難できないと思う。(このことは現在とは全く違う当時の東アジア情勢、特に中国という「大国」が存在しないということが重要だと思うのだが、それは長くなるので別の機会に)
問題は緒戦の大勝を有効な結果に結び付けられず、敗北を招いたことで、それは米軍の反攻が急で(日本側の予想より1年も早かった)、せっかく確保した南方資源帯を活用して日本の国力を増進する時間などとてもなかったからである。
したがって架空戦記などよりも検証する意義のある「IF」は、もし南方資源帯確保という第一段作戦が成功裏に終了した時点で、戦争が終わらないまでもいったん休止したらどうだったろうかということである。

現実の推移の転覆を想定するのは困難である。いかに日本軍がうまくやったとはいえ、そしてその時点で米国はかなりの損害を出したとはいえ、戦争の継続ができないほどの痛手はなく、海軍も空母が残ったおかけでソロモン海での戦いができた。ここで仮に日本が米国に講和をもちかけても、「リメンバー真珠湾」がまだ忘れられていない米国が、それに応ずる可能性は皆無だったろう。
ただ、これは太平洋方面だけを見ていた場合である。欧州戦域を見た場合、独ソ戦は42年の前半では、ソ連軍の第一次冬季反攻がとん挫した後で春からのドイツ軍の攻撃が再開されているタイミンクである。仮に「青作戦」が成功し、ソ連が南部で軍事的・経済的に大打撃を受け、その結果戦争から脱落すれば、英国単独でドイツに対抗しなければならず、さらにその年の夏、ロンメルが北アフリカでエル・アラメインを突破していたら、エジプトを失った英国も戦争から脱落した恐れがある。実際、アバロンヒルの「第三帝国」ではそういう展開もよくあり、ソ連がモスクワを失ってウラル山脈に引きこもり、英国がエジプトを失ってBRPの半数近くをはく奪されるという状況を見たことがある。そうなった場合、ゲームはそこまでで、枢軸側の勝ちで終了していたようである。

そしてソ連と英国が戦争から脱落した場合、米国も戦争を継続できただろうか。太平洋はともかく、欧州では英国にもまだ米軍は展開しておらず、北アフリカへの参戦は史実ではこの年の11月。英国がいなければそれもたぶんなかっただろう。いかに真珠湾攻撃が参戦の理由とはいえ、欧州の戦争が終わっているのに、米国が戦争を続けることでルーズベルトは国民を説得できただろうか。つまり欧州大戦の状況いかんでは、太平洋の戦争が日本とって都合のいいところで終わっていた可能性もなしとはしないと思うのである。

そこで話がやっとPGGシステムに戻る。史実の「青作戦」はソ連軍が予想外に賢くふるまったおかげで、ドイツ軍は予定した戦果を挙げられず、戦線が伸びきってソ連の大反攻を返されてしまった。ソ連がそのようにうまくやった最大の理由は、ドイツ軍の攻勢に対しても前年のように大包囲をされることなく、戦略的に東方への撤退ができたからである。これがなければ、スターリングラードもコーカサスも、比較的容易にドイツの手中に収まり、ソ連は戦争の継続が大変困難になっただろう。
それでこのソ連軍の「戦略的撤退」を再現するため、PGGシステムのゲーム「ドライブ・オン・スターリングラード」が用意したのが、文字通り「ソ連軍の戦略的撤退」というルールである。これはそれをしたターンの半分の数字を喪失VPとする代わりに、移動で敵ZOCから離脱して東方に移動できるというもので、これにより通常なら敵に接しているユニットがいることにより不可能な戦線を維持しながらの全面的な撤退が可能になり、PGGシステムのゲームでよくありがちなソ連軍の包囲殲滅を避けることができるのである。
実際のこのゲームのプレーでは、ソ連軍プレーヤーはたいていすぐにこのオプションを実行する。それはルールにある通り、それをするなら早い方がVPの喪失が少ないからである。1点や2点の損失を惜しんで、このゲームで戦略的撤退をせずに頑張るソ連軍プレーヤーがいるだろうか。
これは42年のドイツ軍の攻勢に対してソ連軍がどのような対応をして、その結果どのような結果をもたらしたかをよく示している。ソ連軍はクツーゾフの故事に倣い、土地で時間を稼いで相手を疲弊させ、自らの力をためるという戦略によって成功をおさめたのである。これを再現するためにPGGシステムはZOCからの任意の離脱不可というシステムの一つの基本を特別ルールで外すことにしたのであり、そのことが逆にこのシステムの特徴を表している。それは、基本的に守勢に回るべきソ連軍が41年にそれをしなかったことによって生じたドイツ軍の大成功を再現するということである。だから、同じ「南方軍集団」でも、キエフ以外のシナリオにはそれぞれ敵ZOCから離脱する特別ルールが用意されている。つまり私が知る限り、全くのZOC離脱不可のゲームは、もともとのPGGとキエフしかない。

確かに、敵に接している軍隊がそこから離脱するというのは簡単なことではなく、移動力の半分を消費するとしているゲームもある。それにしても全く不可というのは極端だが、その意味を考えると、独ソ戦の特徴、そしてそれが劇的に変化した1942年のこと、そしてそのことが世界大戦に与えた影響まで及んでいく。実に興味深いことではあるまいか。

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