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八王子城跡探訪-続き [旅行]

平地まで下りて、管理センターの手洗いで汚れた手を洗ってから、御主殿・曳橋方面へ。平坦地がこれほど楽とは。しかし肝心の曳橋が通行止めで、大手門跡から古道・曳橋を経て御主殿というメインルートが使えず、残念。
昔なら川の中のだろうという道を進み、下から曳橋を見上げる。
DSCF1121.JPG

その先にも道があるので行ってみる。ゲームでは、曳橋が落ちた後に西からまわる精鋭部隊のみ通れるルートがあるので、狭い道がないかと思ったが、道は西に向かうだけで、一向に山の方に上らず、やっと登りになっても西にどこまで行くかわからないので引き返す。自動車が通った痕があるので、私有地へでも向かうものか。御主殿に行く途中にも階段が私有地へ上がっていて出入り禁止のところがあった。この辺り全てが国有地ではなく、いくらか私有地があるらしい。ここは戦国以降廃城だったので、土地の人が占有していたのだろう。

御主殿広場は復元と発掘が行われていた。
DSCF1124.JPG

遺構の石をいったん埋めて、盛り土をして新しい石を同じ配列で並べてある。また、「会所」と呼ばれる建物は床だけ復元されている。しかし、せっかく門と虎口を復元しているのに、曳橋が通れないので行っても行き止まり。なんとも残念。
DSCF1123.JPG

ガイドセンターに帰ると5時でまさに閉まるところ。バス待ちの間だけ居させてもらえた。外へ出ると1710だがすでに夕闇。西に日が落ちるのが早い。つまり今回の探訪は時間的にぎりぎり。詰めの城までいっていたら、御主殿に行く時間がなかったかも。

御主殿に行くまでの曲輪、その対岸の曲輪は、すべて山の中らしい。かろうじて大手門跡の広場から曳橋まで道が復元されている程度か。城山川の北岸の曲輪はほとんどない。下の神社らしい建物があった平地が、ゲームでの「梅の木谷」あたりか。
これは江戸時代に使われていない間に、ほとんどただの山に戻ってしまったからだろう。そう意味では珍しい『名城』だ。たいていは江戸時代から続いているものが選ばれるのだろう。逆によく本丸までの道が残っていたものだ。これは城というより、神社への参道として残ったのだろう。詰めの城への道がほとんど消えているのもそのためだろう。惜しいが、仕方ない。あの辺りは猿たちに遊んでもらおう。

この城跡の特徴は、江戸時代に使われていなかったこと。神社はあったが、城として使われていたころより人の往来が少なかったであろうことは明らか。なので、普通、城跡は使われていてた江戸時代から引き続き整備されているので、昔より今の方が道がいいが、ここは昔より今の方が道が悪いだろう。
特に「本丸」から「詰めの城」への道など、神社になってからは使われていないはずなので、一度ほとんど道が消えたはず。城として使っていたころは、細いながら道があったはず。
管理センターから本丸までの山道にしても、城のころの方がいい道だったところは多いだろう。
現代の来訪者は甲冑や武器の重さがないのと引き換えに、険しい道で苦労していることになるに違いない。

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